減らしたがる病気

ここ1年くらいで段々と減らすことの重要性と快感に目覚めている気がする。

それまでは増やすことこそが善だと思ってきた。友達を増やし、入ってくる情報を増やし、収入を増やすことが善。24時間無駄なく目いっぱい自己研鑽することこそ善。欲しい物があればもっと働いて収入を増やして買う。働く時間が増えて他に使える時間が減れば一日が48時間あったらいいなと思ってしまう。ものを買えば買うほど物欲は増えるし、食べれば食べるほど食欲は増す。情報源を増やせば増やすほどもっといろんな情報を知りたくなる。増えれば増えるほど欠乏症になる。

でも自分が増やそうとしているもののほとんどが「関係ない」「重要じゃない」「緊急じゃない」ものばかりだ。一度我慢してみれば自分に必要なものでなかったと気づくことが多い。

大学に入ってから試行錯誤していたらいつのまにかミニマリズムの考えが染み付いてた。始めは全然そうじゃなかった。バイトしまくってたし、オシャレな部屋を目指してあれこれ買いあさってたし、本もあれこれ読んでたし、資格試験の勉強もあれこれ手を出したり、情報源を増やしまくってた。24時間あれこれやってた。何もかもキャパシティの限界まで詰め込むのが無駄のないことだと思ってたんだと思う。いま思えばそれらはただの贅肉だ。その過程があったからこそ今の考えに至ったんだけれども。

多くの物事は自分の人生には重要じゃない。重要じゃないからといって蔑ろにするわけじゃないが、別になくたって困るようなものじゃない。なくたって死ぬわけじゃない。食べ物は腹6分目で十分だし、TwitterやFacebookで友達の近況を見るのは自分の人生にとってそんなに重要じゃない。慣習や常識どおりに無難にこなすことが自分の幸福に貢献するわけじゃない。テレビのニュースで騒がれていることだって別にどうでもいいじゃないか。人間関係だって無理して広げる必要はない。とにかく話すこと=コミュニケーションじゃない。協調すればいいだけで、同調してしまえば思考停止だ。車や家を持っていれば豊かで幸せなわけじゃない。一日10時間も働いてお金をたくさん得ることが偉いわけじゃない。

あくまでも自分の考えなので他の人にとってはそれらが重要なのかもしれない。けど減らすことによって残るものはより重要なものだ。テレビは全く見ないし、ゲームもしない。食事も一日2食で十分だし、話したいことがないときは話さない。興味のある授業には出るけど、出るだけ時間の無駄になる授業には出ない。就活に役立つかもという理由でTOEICとか簿記とか勉強するという気にはならないし、そもそも就活が自分の人生を左右するようなイベントだとは思っていない。無理してゼミに入って「忙しい」なんて口に出したくないし、自分には重要でないと気づいてしまったから辞めた。欲しい物も3週間我慢すればなくても困らないと気づくし、そんなふうにお金を使わなくなれば無理にバイトする必要もない。全てのメールに目を通さなくても死ぬわけじゃない。飾りになってる42型のテレビや5.1chのスピーカーだって捨てても構わない。いつか着るかもと思って取っておいてある服も心のどこかでもう一生着ないと気づいてる。いつか役に立つと思って取っておいてある本、大量にブックマークしてあるWebサイト、Evernoteに溜め込んだ記事も今まで見返すことがなかった。3日間インターネットを絶って携帯の電源を切っていても困ったことはなかった。自分の周りを埋め尽くしてるもので重要なものは一握りだ。

こんな記事書いているとストイックだと思われるかもしれないけど決してそんなことない。全然禁欲的な生活じゃない。あまりにも欲を抑えつけると息苦しくなるし、欲を肥大させ続けると何にも満たされなくなる。だから食べるときは食べるし、飲むときは飲むし、散財するときは惜しみなく金を使う。大事なのは欲を禁じることじゃなくて律すること。

減らし続けることは自分にとってかなり難しいことだ。「もったいない」「いつか役に立つかも」「減らしてうまくいくか不安」。減らすことにはものすごく抵抗があるが時間をかけていろんなものを減らしてきた。減らすことによって場所にも時間にも心にも思考にも余裕というかスペースがある(お金の余裕はない)。いま自分にはそんなスペースがあるんだけど、また重要でないもので埋めてしまわないように注意しつつも、自分にとって何が大切か見極め、本当に大切なものだけで埋めていきたい。

とカッコよく締めくくれたらいいんだけど実際何でもかんでも重要でないと切り捨ててしまってやることないんだなー。これ一種の病気だよな。

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