一貫性と、恒常的でいることの危機感と、変化の振れ幅

タイトルに特に意味は無い。しっくりくるワードをチョイスしてきた。

ルームシェアしている友人のブログがおもしろくて自分も書きたくなった。そんな金曜の25時。

いきなりなんだけど、ここ最近の自分のことをふりかえると代わり映えがしない景色を見ている感じがする。それは良い意味でも悪い意味でもある。

人生を俯瞰して目標を立てて進んでいくような器用さも頭の良さも気質も持っていない自分は常に数歩先のことしか考えていない。一歩先、二歩先と予測と目標を立ててクリアしていくうちに中期的なスパンで物事を考える精度は多少良くはなった気がする、自分のことに関しては。

三日坊主でもいい、三日でクリアできる目標を立てれば。それがクリアできたら五日間、一週間、二週間、一ヶ月、三ヶ月、半年、一年、二年と長くしていけばいい。そんなステップを経てきて二年先まではやりたいことをやる計画で埋まっている。良いことだ。

ある程度中長期的にやり続けないと身につかないこともある。それはそれで実行力以外に継続力が必要だ。飽きっぽい自分が先のことを見通してやりたいことを選べるようになったのは、言い換えれば愚直に物事をやり続ける継続力がある程度身についたということだ。

ただそのトレードオフで毎日が代わり映えがしない感じがする。進んでいる本人には同じ景色しか映っていない。でも一瞬立ち止まってみて、半年前の自分が今の自分の姿を予測できたかと考えると、全くそうではないと気づく。一歩引いて見ると、愚直に一歩ずつ前に進んでいるように思っていた道のりが大きく歪んで見える。何月何日のあの瞬間に人生変わったと。そんな点をいくつか見つけて結んでみると、自分が思い描いた人生とは全く異なった軌跡を描いている気がする。

そう分析すると、自分の愚直さ素直さ継続力なんか幻想に思える。一貫性やポリシーなんて見当たらない。どうしてそんなふうに曲がりくねった道を進んでいるのだろう。省みると思い当たる節がいっぱいある。

「やりたいことやってて楽しい。しんどい部分もあるけど楽しい。楽しさのほうが上回っているから続けられる。でも疲れてくるとしんどさのほうが上回って感じることもある。これから一週間先も一ヶ月先も同じことやるのか。頑張って続けることは美徳じゃない。最小の努力で最大の成果を上げること、目標をクリアすることが大事。苦労話をして不幸自慢したって目標を達成できなかった自分を慰めているだけじゃダサい。頑張ることが目的じゃない。いかにラクして効率よく物事をこなすか。自分には変化というかマインドのブレイクスルーが必要。そうして変化を取り入れて良くなった反面でブレている感じもする。仮にこのまま目標を達成してもそれは自己満足であって、自分に残るものは結局はその過程の中で得た経験と出会った人じゃないのか。愚直に一貫して目標に真摯になって同じことをやり続けるから得られるものがある。自分はもう少し目標達成にフォーカスして他のことを捨てていかないといけない。それは我慢ではなくてやりたいことをやる楽しさのため。自分でやりたいことを選んでやれるなら楽しいし本望だろう。」

こんな自分の気質のおかげで目標にまっすぐ辿り着くことなく紆余曲折して面白おかしくしんどい人生を過ごせている気がする。やりたいことはいっぱいあるのに、それだけが人生じゃないよねと欲張ってしまう。二年先まで埋まっている計画に全力で進んで、どれだけあさっての方向に突っ走れるかが不安かつ楽しみだし、それが自分の持ち味・色でもあると思う。

そんな気質の代償で、自分のことは完全にコントロールできないという面もある。最低限の舵取りはできているから致命的ではないとは思っている。ただそのせいで周りの人に迷惑をかけている部分はある。それを自覚しつつも必要以上に罪悪感を感じないようにして自分を殺さないようにするというマインドを維持しないと思い通り生きられない。良くも悪くも真面目すぎるから。迷惑かけても自分の人生がコンテンツになればいいと思う。アート的な(笑)。

六本木に住んだからってルーティンが変わるわけじゃないし、休みの日にミッドタウンでランチしたって幸福度が二倍になるわけじゃない。起業したって注目を引く存在になれるわけじゃないし、気晴らしに遊びに行ったって本質的な問題が解決するわけじゃない。

でも自分はロボットではないからプリミティブな欲求は当然ある。ときたまそれに従ったりすると案外それで道が開けたりする。理性と直感、人間的な面と動物的な面、どちらも犠牲にすることなく一貫性とひらめきを大事にすれば自分は充実感を持って生きることができる。

一貫してやることの大切さを理解しつつそれ自体に価値を置くことなく必要な変化を必要なタイミングで取り入れる柔軟さは忘れてはいけない。一貫し切れていない自分だったからこそ今の自分があるから。だからと言って不必要な変化を招き入れる甘えや言い訳にしてはいけない。

早く自分の見える景色を変えたいと最近思っていたけど、よく考えたら自分の変化の振れ幅に慣れてしまっただけだ。

毎日勉強したりボクシングしたり仕事したりしてるけど、たまに変化球入れたりする。たまに投げる変化球も球種が読めてしまったら変化球じゃなくなる。今日は早く寝るか遊び倒すかしたい気分だけどそういう選択肢はありきたりなので、敢えて深夜開いているカフェに行って限界まで仕事している。死にそうだ。大丈夫、肉体的限界は精神的限界の遥か向こうにある。頭の中でしんどいと思えるレベルじゃ死なない。最近はどうやったら精神的限界を肉体的限界に近づけられるかに興味がある。フリーダイビングみたいに精神的限界に何度も自分を叩きつけたい。

華金の深夜にこのカフェに来る人がどんな人でどんな話をしているかを観察してみる。隣の人たちのスペイン語の会話が聞き取れた。スペイン語の読み聞きだけでなく話せるようにもなりたいな。ブエノスアイレスにスペイン語とタンゴを習いに行きたい気分だ。この前ウクライナ行ってロシア語に興味を持って今はロシア語の授業も履修しててロシア語面白いからロシアにも行きたいんだな。行きたい国がいっぱいあるし音信不通になって放浪したいな。こうやって今日みたいな無意味そうな変化球が積み重なって人生あさっての方向に進んでいくんだろうな。理性的に一貫してやるべきことをやるということ、直感的に変化を取り入れること、変化の振れ幅やパターンを変えること。これが今の自分を作っている基礎でもあるし、頭を悩ます元なんだな。ブレ感を若さのせいにせず一貫性とセットにしていつまでも持ち続けたい。

いまの自分を表すピッタリな言葉を選んでくっつけて支離滅裂な文章ができて満足したから、今からもうちょっといつもと違うことしたら寝ようかな。

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