考えたこと

2014年総括

ひとことで言うと自分の考えがまだまだ未熟なんだと思い知らされた年だった。

2014年は大学を卒業して社会人として働き始めた節目の年。良い年にするぞと意気込んで2013年末に立てた一年の計は、結果的に全く役目を果たさなかった。

学生のころから働いている職場に入社することになっていたので自分なりに見通しは立っていたつもりなのだが、4月になって実際に社会人になってみると想像以上に大変なことが多かった。

職務内容が、という話ではなく、意識の切り替えに苦労した。仕事以外のやりたいことや目標に対して十分な時間を確保することができず、折り合いがつかずにストレスを抱えて働いた。それが原因で体調を崩してしまい、目標のいくつかを断念した。その後しばらくは仕事以外の時間は何かを頑張るということから離れて休養していた。入社以来、勉強-仕事-ボクシングという生活が続いていて長らく友達と遊んでいなかったので久々に連絡をとって遊んだ。症状が段々と良くなって10月くらいには完全回復した。それから社会人という立場に対する認識を改めて、その中で目標やキャリアを考え直して立ちなおった。それで仕事を頑張っていたら気が付けば2014年が終わっていた。

そういう一年だったので、今年何やったかなとふりかえると空回りしてたなと思う。なので2015年の一年の計はけっこうシンプルで、「2014年に出来なかったことをやる」だ。2015年にやろうと思っていたことは2016年にやることにした。

学生のときはいつも"何をやろう"と考えていたけど、いまは加えて"どこまでやろう"ということをよく考える。

いまいくつか取り組んでいることはどれも時間をかけるに値するので、2015年は腰を落ち着けて集中したいと思う。

自分を嫌いに感じた瞬間

先週に引き続き今週も忙しい一週間を過ごした。朝から晩まで働くどころか朝から朝まで働いた。今日は昼夜逆転して昼に起きた。仕事が忙しいと仕事以外の時間の使い方が分からなくなってしまい、時間を持て余して考え事が多くなってしまう。そんなときはもっぱら、仕事の時間には忘れてしまっている自分の生き方・有り様について考えを巡らす。

一昨日に仕事が一区切りついた。その日は全社で行う四半期ごとのふりかえりもあったので、「仕事が終わったら美味しいものを食べて一息ついて、また明日から気持ちを入れ替えて頑張ろう」と考えていた。しかし会社の方針や他部署の状況を聞いているうちに、「自分が一生懸命やっていることに何の意味があるのだろう」という思いが込み上げてきた。自分の今の状況が、自分の人生全体に対して最適化された状態からは程遠いと感じた。自分の成長を一番のモチベーションにして働いて、技能と業務知識を磨いてきた代わりに、自分の心の有り様や生活を犠牲にしてきている。燃え尽きとは違う嫌悪感のような感情だ。

今の自分は感情的なので嫌いだ。頭で良くないと思っていてもストレスに対して感情的に対処してしまっている。成長できるという甘い言葉は、やればやるほど一歩先に進めると自分を勘違いさせる。長く働くことはそれ自体がストレスだし、ストレスを解消する機会も奪ってしまう。成長できるという点以外で自分をモチベートするものが、今の環境にあるかをよく考えないといけない。そこまで考えると、今の自分はすっかり狭い社会で生きてしまっていて、本当に情けないと感じる。なのでもう少し人生の最適化を図りたいと思う。

仕事のふりかえり

先週の金曜日、一人遅くまでオフィスに残っていて静かに考え事ができたので、仕事のふりかえりをした。日報に送った内容だけど、気づきを忘れないように記録としても残しておく。

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今週はシステムの設計部分に時間を割きすぎたなと反省しています。
手戻りや変更が少ない完璧に近い設計を追求することと、ある程度は開発者の裁量に任せて走りながら考えるという状態を許容すること
の2つのバランスにおいて、前者に比重が傾いていたなと思います。
PMの業務をやりながら感じることは、コミュニケーションや進捗・タスク管理というアウトプットが見えづらい仕事に自分の時間が多く割かれるなということです。
自分の仕事としてアウトプットが形に残りづらいので、「これだけ働いたのに形として残っていない」と焦る気持ちもあるのですが、
かといって自分が手を動かしてアウトプットを残そうとすると、他の人に作業を振ることが出来ないでスケールしないしリソースの使い方も全体で見ると非効率になります。
そのうえ本業の橋渡し役が務まらないで自分がボトルネックになりがちになってしまいます。
「プロジェクトをマネジメントするためにあれもこれも把握しておかないといけない、自分が全ての作業に関与していないと不安だ」
と考えてしまうのが現状の自分の悪い点なので、全てを知る必要はないとある程度達観することと、作業に携わって状況を知るという方法ではなく、
自分が何もしなくても作業者のほうから進捗が報告されるような仕組みをつくることが、PMの本業に集中するためには必要だなと感じました。
ひとまず今日はタスクと進捗を整理しなおし、自分の立ち位置とプロジェクトの状況を再認識しました。

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あとはいち技術者として思うことは、学生のときに身につけた技術周りのスキルは所詮アマチュアレベルだったなということです。
今まで自分のなかでは、仕様どおりにとりあえず動くプログラムは作れるな、という自負が少なからずあり、
万が一不具合があっても軽微な修正を行う程度だったので、そこまで下手なプログラムを作っているとは感じませんでした。
しかし対価としてお金をもらうレベルのプログラムを作るためには、目に見える要求仕様を越えて、
複雑なビジネスの手続きそのものやロジックの変化を吸収できる仕組みを、裏側に作れるようにならないといけないなとこのごろ感じています。
(拡張・変更・例外に耐えうるシステム設計、万が一障害が発生しても一秒でも早く復旧できるような仕組み、その障害の原因を特定できる仕組み、etc)
そういう意味でアマチュアとプロの違いは、
・アマチュアは仕様通りに動くものは作れても、何かが起きると都度自分が動かないといけない、自分の時間を奪う技術的負債を作る
・プロは仕様を越えて、どんなことが起きてもほぼ自分の動くコストがかからない、あるいは自分の時間を使う場合であっても正当な理由をもって顧客からお金を請求できる、お金を生み出す資産を作る
かなと思いました。
このあたりの設計のスキルは、ある程度経験がものをいう部分だろうと思って、焦らずに今後じっくり身につけていきたいです。

身体のコンディションを整えるのも仕事

10月はなんだか忙しい一ヶ月だった。調子を取り戻してあれこれと試みをして、前進のあった良い月だったけど、体調管理の面で反省すべき点も多かった。前半は仕事も仕事以外も精力的に取り組んでいたが、疲れを溜めて風邪をひいてしまい、後半は体調不良のなか仕事→家でぐったり→タスクが溜まって週末休めない→体調不良という負の連鎖だった。風邪がまったく治らず2回も会社を休んでしまい、仕事の遅れを取り戻すために始発まで働いて、休みの日はボロボロの体でジムに通っていた。いま思うとどこかでしっかり休めば良かった。休む習慣を持つから時間が生まれて頑張れるし、そうあるべきだと猛省した。

風邪をひかない身体かどうかというのは体調管理の良し悪しのバロメーターな気がする。部屋の温度・湿度を調節したり手洗いうがいを心がけたりして風邪の感染経路を断つことが、病原体に負けない身体づくりと同じくらい大事なことだ。そんな当たり前の心がけを怠るのは社会人としてもボクサーとしてもプロ意識が欠けている証拠だ。

この週末はそんな反省をしながら、しっかり休んで体を動かして健康的な食事が出来たので、11月はこのままコンディションを維持したい。それも仕事の一部だ。

節制・摂生

自分はここ何年も習慣的にスポーツをしていて健康オタクでもあるので普段から摂生に気を遣っている。大学受験のときに20kg近く太って以来、節制するようになり食事が自分の調子に大きく影響を与えることを実感し意識している。

大学の水泳部で毎朝練習していたときは栄養バランスに気をつけながらわりと好きなものを食べていたが、ここ一年ぐらいは野菜を中心に食べていて、一日二食の食事で炭水化物は玄米のみ、たんぱく質は卵か納豆、たまに鶏の胸肉、安く買えれば魚、お酒は付き合いで月に2,3回くらい、というかなりヘルシー?な食事をしていた。なんとなく体に悪いものは食べる気がしなくて、あれもダメ、これもダメと、自分でルールを決めるうちに上記のような食事内容になった。その代わり運動しているから量は食べるようにしているし、普段節制しているからこそ友達と飲みに行くときは我慢せず好きなものを好きなだけ食べてメリハリをつけている。

それで今月頭に健康診断を受けて、今日結果が返ってきたのだけど、中性脂肪が少なすぎてコレステロール値も低い、言うなれば軽い栄養不足状態、という本末転倒な健康状態だった。体重増減していないし特に病気になっていないしなぁと思って起こりうる症状を調べてみたら、疲れやすくなったり元気が出なかったり、ひどいときは落ち込みやすくなる、と出てきてなるほどと思ったので、食事が足りていないんだなと実感した。

でもどうしても揚げ物やお菓子やジャンクフードで強い体ができるなんて想像がつかないから、制限し過ぎず食べたい物もう少し食べていいと言われたとしても、普段の食事に摂り入れたい食べ物が思いつかないんだよな。原型を留めていない食べ物よりも自然にある状態に近いままの食材を食べるほうがエネルギーもらえそうな気がするし。体に毒ならお腹が減っていても食べないほうがましと思っているから安易に外食もしない。こんなわがままだから自炊しか選択肢がないんだけど。やっぱり皮を取り除いた鶏胸肉か野菜・果物か玄米じゃないと量を気にせず食べられない。明日から増やすなら、ゆで卵かパスタかツナ、オリーブオイルを使った料理かな。健康に良い脂肪分を摂取しながら増量を目指そう。

小心者

最近ようやく元気を取り戻した。4月から社会人になって4ヶ月間、だんだんとストレスを抱えていって長いこと気を病んで体調を崩していた。

ストレスの原因は初めから分かっていて、自分のキャリア実現のために海外の大学院に行きたいという名目で、自分のコンプレックスと格闘していたことだ。本当は心の底から行きたいというふうには思っていなかった。勉強したい分野があるのは本心だけど。

仕事自体は学生時代から長く通っている職場ということもあり、社会人になったからといって特にストレスを感じてはいなかった。ただ自分の時間は確実に減ったので、大学院の情報集めやTOEFLの勉強などで身を削った。適切なタイミングで息抜きを取ることも自分自身許さなかった。「そんなこと考えているから甘ったれなんだ」と叱咤した。最終的に眠れなくなり、食欲もなくなり、頭は全く働かず、みるみるうちに仕事が進まなくなった。残業も多くなり自分の時間が減る一方で、土日はストレスで何も手につかず、そんな自分を嫌悪した。

7月の終わりに航空券を取って無理矢理休みを入れた。いくぶんかリラックスできた。それから間もなくして職場の社長や大学院生のインターンの方に大学院のことについて話をする機会があった。大学院に行きたいという理由が答えられなかった。自分でもよくわからなかった。自分自身を認められるような分かりやすい目標なら何でもいいと、大学院合格という0か1か分かりやすい形にアプローチしていたことが、がむしゃらに夢に向かうというよりも自分をすり減らして無謀なことをしているんだと改めて気付かされた。

それから自分が勉強したい分野の大学の先生にメールを送って話を伺い、自分がやりたいことが何か、どうやったら実現できるかイメージできるようになり、だんだんと自分が執着していたことから抜け出せるようになった。7月終わりから今日までの3週間かけて、休めるようになって、遊びに行けるようになって、新しいことを頑張りたいという気力が湧くようになった。

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という大学卒業後の近況を、昨日母と久々に電話をした折に話した。「他人の目を気にしすぎ。そのこと自体をあんたは払拭したいと思って自分自身をガチガチに固めるからストレスが溜まるんよ。やりたいことをやるのは良いけど、興味の対象が変わったら他人にどう思われようが素直に新しいことをやりなさい。そのことを夢から逃げたなんて思うほど、周りの人はあんたのこと気にしていないよ。」と言われた。自分の弱いところを人に見せたくないから完璧主義になってしまう、という部分が母親自身にもあるらしい。子どもの心を見透かせる母親は本当に偉大な存在だなと感じた。

確かに23年間を振り返って、物心ついたころから自分が気が小さかったことを思い出した。小中学生のころはわりと奔放だったけど、他人にすごいと思われたいという目立ちたがり屋な面も多少あった。高校生のころは気ままに勉強と部活に励んでいたけど、うまくいけばいくほど他人から賞賛され、他人にどう思われるかという考えに取り憑かれてしまった気がする。それが嫌で3年生のときは学校サボって受験に失敗し、その反動で大学時代はやりたいことをとにかくやった。それで将来どうしようと考えたときに、また世間の基準に迎合してしまい、冒頭にあるように不調をきたしていた。

まぁ三つ子の魂百までというか、やはり自分は根本では小心者だから、コンプレックスをばねにいろいろな武装をしていくと思うし、それに葛藤して"他人からどう思われようが気にしない"ということを気にし続けるんだと思う。それで今まで生きてこれたんだからこれからも何とかなるさと思って、もっといい加減さと本能に従う感覚を身につけたい。

何をやってもすっきりしない

3月の卒業旅行以来、以前よりは腰を据えて物事に取り組めている。そのおかげか最近は万事順調だ。仕事、ボクシング、勉強は少しずつ手応えを感じているし、恋人・家族・友人との人間関係も円満だ。経済的な不安もないし体もいたって健康。表面だけ見れば好調ではあるけど、しかしながら心の底では何をやってもすっきりしない。

3月からを少しふりかえると、卒業旅行では大阪を出発して香港, マカオ, セブ, 台湾, 沖縄と島巡りをし、卒業式の日は式に出席せず温泉旅館でのんびりしようと思いながらも家で寝て過ごし、4月の入社式以降はタフな仕事をこなしつつも自分の時間をなんとか作って勉強とボクシングを継続し、5月のゴールデンウィークは17ヶ月ぶりに家族・兄弟と集ってかけがえのない時間を過ごした。後からふりかえってハイライトと呼べる思い出があるのが唯一の救いで、当時も今も多くは葛藤しながらなんとかやっている。

先日研修でタイムマネジメントの講座を受講したが、そこでは目新しい方法論は特に見つからなかった。優先順位のつけ方、時間の使い方をある程度学んでしまうと方法論いかんで生み出せる時間はだいたい限界に達する。自分が考えるタイムマネジメントの本質は価値観の取捨選択とストレスマネジメントだ。24時間を越えて一日の時間を増やすことはできないのだから、やりたくてやること、やりたいけどやらないこと、やりたくないけどやること、やりたくないからやらないことを自分のなかで線引きして収めるしかない。そうして描いた24時間の円グラフを考えどおりにこなせるかどうかは、仕組み化・習慣化の段階を含めて究極的には意志の力にかかっていると思う。意志の力をコントロールするために良いストレス・悪いストレスのマネジメントをする、そういう意味でタイムマネジメントはメンタルのマネジメントであるとも言える気がする。

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何をやってもすっきりしないのは原因が2つあって、ひとつは気を休めることが苦手なせいでストレスマネジメントがうまくいっておらず、集中力を最大限に発揮できていないこと。休日14hぐらい勉強しようと思っていても何週間も根詰めていると全く手がつかず、時間を切望しているくせに休日を無為に過ごしてしまう。かと言って思い切って遊んでみても羽目を外し切れずどちらにせよ自己嫌悪する。まぁ今日がそんな日だった。そしてもうひとつの原因は、もっと自分の性格と価値観の根本的な部分にあって、やりたいこと・達成したいことのマイルストーンばかりを追っていて、そこに向けて努力しているときか後からふりかえるときしか充実感・満足感を感じられない体質にあると思う。目標を前へ前へと置く限りは何をやっても欲求不満だ。

それで「あ、やっぱりこの性根はどうしようもないな」と思って今はいつもどおり開き直っている。明日からまた頑張るか。

Writing

ソウルから帰ってきてからいろいろと順調な反面でかなり忙しくて心が休まらなかった。スランプに陥っているときは、頭ではやろうと思っていても体が言うことを聞かない。しかしいまは逆で、頭では「休まなきゃ、友達・家族・恋人と過ごす時間を大切にしなければ、心が燃え尽きてしまう前に自分がなぜ前に進みたがっているのか明らかにしなきゃ」と考えていても自分の理性がそうさせてはくれないし体が心を置いて働いている。大きなタスクと心配事が昨日解決してグッスリ眠れて、ようやく今朝コーヒーを飲みながら自分の好不調の違いを生む要因を探ってみたりブログを読み返してみたりすることができた。

それでブログを読み返すと改めて実感するのは自分が大学生活で最も変わった点のひとつが文章を書くのが好きになったということだ。あと一ヶ月書き続ければ10年分に達するほど日記を綴っているが、大学4年分は日毎に文章のボリュームが多くなっている。内省的な日記を書くようになってからは自分の心情のニュアンスの違いを表すような言葉を選ぶのに注意するようになった。まあ自分しか読まないんだけど。高校生までの間は全くと言っていいほど本を読んだことがなかったが、何がきっかけだったのか大学生になってからは生活費を切り詰めて本を読み漁った。と言ってもビジネス書や技術書ばっかりだったので文学を楽しんだりとか教養的知識が身についたりはしていない。しかしそれらの本で得た"言葉選びが生む強烈な印象の違い"や"ロジカルな文章を書く記号表現や構成"などの知識は書くこと自体への自分の興味を高めてくれた(それらの知識が活かせているかは分からないが)。そして書くことへの興味を最も高めてくれたのが語学であり、語彙や文法や話し方やそれらの背景にある考え方の違いを知る楽しさだ。語学を楽しいと思うようになったのはロシア語の響きに魅了されたこと、この15ヶ月の間に初の海外旅行を含む5度の海外渡航をしたことの影響が大きい。

なので本当はもっと文章を書く訓練をしたいなと思っている。自分にとってブログを書く唯一の理由は、自分個人の立場から人の目に触れる場所に文章を書けるからだ。ブログにアクセスを集めて収入を得る、あるいは注目を集めるなどというのは全く意図していないので広告も貼っていないしGoogleAnalyticsでアクセス解析したりもしていないしTwitterやfacebookで更新を通知したりしていないしビジュアル的な理解のために画像を多く貼ったりなどを心がけてもいない。tumblrを使う理由もWordPressほどの高機能は必要ないからと思っているからで、シンプルなテーマを使う理由も文章以外のものに気を逸らしたくないからである。そういう意味で読み手のことは全く意識していない横暴な書き手とも言えるし、事実フィードバックなんかもらいたくないと思っている(そもそも自分は、"自分が承認欲求を持つことが気持ち悪くて許しがたいので人とあまり接したくない"と思っている類の人間だ)。一言で言うとアートのそれと近い。読み手を意識すると表現の幅が狭まってしまう。それでもブログというメディアを選ぶ理由は、一人称でしか理解できない日記を書くのとは比べ物にならないくらい文章表現そのものを高めてくれると考えているからだ。なのでブログのトピックにこだわりはない。私事であっても第三者が理解して情景や心情を浮かべることができるような文章を書けたらなと思っている。

それで、いつだって問題になるのは時間があまりにも足りないことだ、と実感するのだった。

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P.S.
でも堅苦しいブログにするのは自分の趣味として味気なく感じるので、しょうもない投稿をpostして更新頻度を上げたいなと思っていたりもする。